愛別離苦
愛別離苦 ああ、またか──。
飛雄馬は自宅のドアポストに挟まれたメモ紙を手にすると、それに書かれた文章へと目を通す。
中日へのトレードが決まってからと言うもの、親友・伴は毎日のようにここを訪ねているようで、去り際には必ずこうしてメモを残していく。
おれはそんな彼に会いたくなくて、喫茶店で時間を潰してみたり、用もないのに街をぶらつくことで直接顔を突き合わせることを避けている。
行かないでくれ、と言えたらどんなにいいだろう。
ずっとそばにいてくれと言ったら、伴はおれの手を取り、逃げてくれるだろうか。
誰もおれたちのことを知らない、どこか遠くへ、彼は一緒に来いと言ってくれるだろうか。
ふっ、と思わず吹き出して、飛雄馬はスラックスのポケットから取り出した鍵で自宅の施錠を解く。
馬鹿なことを。
自分から伴には別れを告げたのに。何を今更、そんなことを考える。彼には彼の人生があって、いつまでもおれの補佐役をし続ける意味も必要もないのだ。
玄関先で靴を脱ぎ、飛雄馬は部屋の明かりをつける。
蛍光灯が数回瞬いたのち、部屋がぱっと明るくなった。すると、玄関には自分のものではない靴が一足揃えて置いてあって、飛雄馬は息を呑んだ。
見覚えのある靴を目の当たりにし、ほんの一瞬、鼓動を止めたように感じた心臓が今度はやけに高鳴り始める。
「…………」
東京タワーを眼前に臨むリビングに置いたソファーに座る人影があって、飛雄馬は無言のまま、そちらへと歩を進める。一歩、二歩、と距離を詰めるのと比例し、心臓は急速に全身へと血液を循環させ、体の末端がじわじわと熱を帯びてきている。
伴、とソファーに腰掛ける人物の──親友の名を口走りそうになって、口を噤む。
なぜ、ここに、なんのために──考えつつ、飛雄馬はここに越してきた際、伴に部屋の合鍵を渡していたことを思い出し、鼻から胸いっぱいに吸い込んだ空気を口から吐いた。
そうして、緊張と興奮ゆえに額に滲んだ汗を腕で拭って、飛雄馬はソファーに座ったまま居眠りに耽る伴を見下ろす。いつからここに。いや、ドアに挟んでいたメモはおれを油断させる罠だったのか。
許可なく勝手に部屋の中へと入り込み、おれを待ち伏せていたとでも言うのか。
ああ、それにしても──こうして会うのはどれくらいぶりだろう。伴と別れてからと言うもの一日一日がひどく長く感じられる。
ひとりの食事は味気なく、暇を潰す術もない。巨人の先輩方はおれのことを気遣ってか試合に関係のないことは訊いては来ず、誰かとくだらぬ話をしながら声を上げて笑うこともなくなった。
飛雄馬は項垂れたまま、微動だにしない伴に縋りつきたいのを必死に堪え、しばしその場に立ちすくんだ。
「む……いかん、寝とったわい……」
そのうちに、伴が目を覚ましたか、独り言のようにぼやいて顔を上げはしたが、傍らに立っていた飛雄馬の姿を目にするなり大きな目を更に見開くと、星……と今にも泣き出しそうな声で名を呼んだ。
「……いくら合鍵を渡したとは言え、勝手に部屋の中に入るのは感心しないな」
淡々と答えはしたものの、瞳が涙で潤みつつあるのを飛雄馬は視線を逸らすことでごまかす。
「すまん、そ、その一度、直接会って話がしたくて――」
「話?何についてだ。今更話すことなど何もない」
「……冷たい、のう。星、おれはてっきり星の方が縋りついてくるものだとばかり思っちょったわい。どこにも行かんでくれ、ひとりにしないでくれ、と。きさまがそう言ってくれたならおれは……」
「そう言えば伴はおれの手を引いて逃げてくれるとでも言うのか。そうして、どうやって生きていく?」
「どうって……どうとでもなるわい。おれと星なら。ふたりなら、おれは星と一緒なら何でもできるぞい」
伴の言葉に、飛雄馬は瞳から涙が溢れ落ちそうになるのを唇を強く引き結んで堪える。
おれはきみのためを思って、断腸の思いで送り出したというのに。それなのにどうして伴はおれの決心を揺らがせるのか。
「…………」
「なあ、星、頼む」
「出ていってくれ、伴。もう昔のようにはいかない。トレードは決まったんだ。間もなくきみも名古屋に行くんだろう」
「…………」
反論もないまま伴がソファーから立ち上がり、飛雄馬は小さく鼻を啜る。寒い、なんて寒いんだろう、ここは。伴と出会ってからと言うもの、寒さを感じたことはなかった。傍らにはいつも彼がいてくれたからだ。
無言で立ち上がった伴を飛雄馬は見上げ、鼻を啜ると大きく息を吐く。
「…………」
「泣いちょるのか、星……」
「泣いてなんか……」
問い掛ける伴に言い返しかけた飛雄馬だが、ふいに正面から強く体を抱き締められ呼吸が止まる。
しかして、その息苦しさが今は妙に心地良く感じられ、飛雄馬は伴の胸に顔を埋め、懐かしい香りを胸いっぱいに吸い込みながらそっと彼の名を呼ぶ。
「星……」
体を勢い良く引き剥がされ、伴の広く大きな手が飛雄馬の両肩を掴む。
「見るな、伴……頼む」
「…………」
囁いた飛雄馬の頬を伝った涙を、伴が寄せた唇で掬い取った。触れる唇が熱くて、柔らかくて、飛雄馬は目を閉じる。と、ためらいがちに伴が唇へと口付けてきて、飛雄馬は触れた熱さに思わず体を戦慄かせた。
泣くな、と囁かれた優しい声に頷いて、伴も泣いているじゃないかと苦笑する。
いつの間にか伴の頬にも涙が伝っており、互いに小さく吹き出すと、どちらともなく唇を重ねてから、飛雄馬は伴の首に縋りついた。
伴の腕もまた、飛雄馬の背中へと回る。
「ん、ぅ……はぁっ……っ、」
離れていた時間を取り戻すかのように互いに激しく舌を絡め合い、唇を触れ合わせて、時折漏れる吐息に身震いする。相手を抱く腕には力が篭もり、体の奥が熱く火照って、肌の表面には汗が滲む。
「星……星よう」
「っ、う……」 背中を抱いていた伴の手が飛雄馬の尻を撫で、そのまま固くなった下腹部を腹へと押し付けてきた。
腹の奥が押し当てられた熱に疼き、飛雄馬は声を上げる。
「…………」
「…………」
言葉も交わさず飛雄馬は床へと腰を下ろし、伴もそれに続くようにその場に膝を着く。
そうして、明かりも消さないままに伴の体の下に組み敷かれた飛雄馬は、寄せられた唇に自ら口付けた。
伴の手が飛雄馬の穿くスラックスへと伸び、慣れた手つきでベルトを外していく。
「っ、ふ……ぁ、」
肌へと直に触れた指の感触に声を漏らし、飛雄馬は下着とスラックスを脱がしにかかった伴の手助けをするように腰を上げ、下半身を蛍光灯の下へと晒した。
すると、伴が飛雄馬の男根を大きな手で撫でつつ、屈めていた身を起こす。それに伴い、唇は離れ、飛雄馬は床に背中を預けた状態で目の前の彼を見上げた。
「ちっこいのう、星は。相変わらず」
「口喧嘩をしにきたのか」
「今は何もかもが懐かしいわい」
言って、伴は床へと投げ出されたままの飛雄馬の足を膝から曲げるようにして左右に広げると、あろうことかその中心へと顔を埋めた。
飛雄馬の男根を根元まで口に咥え、窄めた唇で一息に下から上へと刺激を与えたのだ。
「あ、ぁっ!」
思わず足を閉じかけた飛雄馬の腿を押さえ、伴は再び根元まで咥えると上顎と舌とでそれを挟み込み、ゆるく吸い上げるようにしながら顔を上下に動かした。
男根全体を熱く柔らかな粘膜が包み込み、飛雄馬はあまりの快感の強さに背中を反らして伴の頭を掴む。
すると、伴は口を離し、唾液に濡れた男根を手でしごきながら陰嚢の下にある窄まりへと舌先を這わせた。
「っ……く、ぅ……」
舌先が窄まりの中心をちろちろとくすぐり、飛雄馬は肌が粟立つのを感じる。声が漏れぬよう口元へと腕を遣り、自分の股へと顔を埋めた伴を見つめる。
窄まりの刺激にばかり集中していると、男根をゆるゆるとしごかれて、口からは情けない声が漏れた。
「いきたいならいっていいぞい」
「ん、ぅ、う…………」
ついに窄まりの表面をくすぐっていた伴の舌先は飛雄馬の腹の中へと滑り込み、男根をしごく手は速度を増していく。
中を行き来する舌がかすめる位置から走る快楽の波が少しずつ、理性を飛ばすように飛雄馬の頭の中を侵食してくる。
「ば、っん……!それ以上っ……」
嘆願虚しく伴の舌先は腹側の壁を撫で、飛雄馬は絶頂を迎えると、男根からも精を放出した。
噴出した精液は伴の手だけではなく飛雄馬自身の腹も濡らし、呼吸に合わせ上下する腹の上でしばらく揺れていた。
「星、いくぞい……」
広げたままの両足を左右それぞれの脇に抱えた伴が、取り出した男根を飛雄馬の腹の上へと乗せる。
「伴っ、すこし、やすませ、ァ、うっ!」
伴の男根が先程まで舌を這わせていた窄まりへとあてがわれ、飛雄馬の都合も聞かないままに挿入を果たした。逃げる飛雄馬の腰を追いかけながら伴はゆっくりゆっくりと時間をかけ、中にすべてを飲み込ませると、ぴたりとその動きを止めた。
背中を反らし白い喉を晒したまま、飛雄馬は内壁を押し広げながら奥へ奥へと押し入ってくる伴の男根の圧にうち震えながら小さく二度目の絶頂を迎える。
そして伴は飛雄馬の開いたままの唇から覗く舌を吸い上げつつ、唇を貪った。ひとしきり唇を犯したのち、伴の唇は飛雄馬の汗に濡れた首筋へと触れる。
掠れたような呻き声を上げた飛雄馬の頬に溢れた涙の雫を、伴は指先で拭ってからゆっくりと腰を使い始めた。ようやく、腹の中を満たすものの存在感と圧に慣れつつあった飛雄馬だが、伴の男根が入口から抜け出て行く異様な感覚に、あっ!と鋭い声を漏らした。
「大丈夫、大丈夫じゃい……星、そんなに体を固くせんでもええ」
熱い、腹の中も、肌の表面も、吐息も何もかもが熱を持っている。伴と一緒のときだけは、おれは確かに生きているのだと実感できた。この厚い胸と太い腕にきつく抱かれるときは、確かに幸せだったのだ。
ゆるく引いた腰を尻に叩きつけられて、飛雄馬は伴の腕へと縋る。
「ばっ……伴……っ、させて、……にもっ、」
「なんじゃい、星。すまんがもう一度……」
伴がゆるゆると腰を使い、飛雄馬の体を揺らしながら問いかける。
「なにも、っ……わからなくさせてくれ……」
「…………」
瞳から溢れ落ちる涙を隠そうともせず、飛雄馬は濡れた瞳で伴を仰ぐ。本音を言えば離れたくはない。
ずっとそばにいてくれの言葉は、今尚喉元で燻っている。
寄せられた顔に手を添えて、飛雄馬は僅かに体を起こすと自分から伴の唇に口付ける。
互いに唇を重ね合わせたまま、伴は激しく腰を打ち付け始めた。体重を掛け、奥を突かれて飛雄馬は伴の体にしがみつくと、訪れた快感の波に身を委ね、ひくひくと体を痙攣させる。
しかして、伴の猛攻はやまず、飛雄馬の体を抱えるようにして抱き上げると、繋がったまま対面で向き合う形を取った。自分の身を支えることもままならない飛雄馬の体を抱いたまま、伴は正座の格好で下から腹の中を突き上げる。
「っ〜〜──!」
今までとは違う角度で中に触られ、奥を突かれて飛雄馬はまた、ゆるい絶頂を迎えると伴の胸に顔を埋めた。汗をかいた伴の匂いが腹の奥をきゅんとさせ、飛雄馬は、壊して、とか細い声で囁く。
「星、きさま、今なんと……」
飛雄馬の体を引き剥がし、伴が尋ねる。
「こわして、伴……もう、何も、何も見たくない」
「星……」
抱いた体を再び伴は床へと寝そべらせて、伴は飛雄馬の腹の中を抉るように腰を叩きつけたかと思うと、今度は中を掻き回すように動いた。
「はぁ、っ……あぁあっ……」
与えられる快感から逃れようと身をよじる飛雄馬の体を追いかけ、伴は押し付けた腰を上下に揺らす。
幾度となく絶頂を迎え、ぐずぐずになった腹の中を絶えず伴の男根が擦っては突き上げることを繰り返した。唇を塞がれ、呼吸をすることもままならないまま、飛雄馬は昇りつめ、全身を戦慄かせる。
「くっ……ん、ふぁ、あ……」
伴の背中にしがみついて、飛雄馬は伴の出すぞいの囁きに頷く。そのまま間髪置かず、伴が射精し、飛雄馬は彼の唇を貪ったままその脈動を感じる。
しばし、口付けを交わしあったあと、飛雄馬は腕を離し、伴もまた体を起こした。
伴が離れていったあとも飛雄馬の体は絶頂の余韻に震え、体を起こそうにも脱力し、指一本動かせぬ状態であった。
風呂を借りるぞい、の言葉に飛雄馬は返事をせず、浴室へと向かう伴の姿を無言で見送る。
しばらく、伴がシャワーを使う音を聞きながら飛雄馬は床に寝転がったまま体を休めていたが、ふいに起き上がると、大きな溜息を吐いた。
すると、髪を拭きながら下着姿の伴が戻ってきて、飛雄馬は振り返りざまに彼を見上げる。
「星……」
「私物は、持ち帰ってくれると助かる」
「いいのか、きさまは本当に、これで」
「いいも悪いも、もう球団が決めたことだ。おれたちはそれに従うしか……」
「球団がなんじゃい。監督が、親父さんがなんじゃい……逃げよう、星。おれときさまのふたりならなんだってできるわい」
「ふふ……まだ言うのか。人恋しさに理由をつけて訪ねてきたとばかり思っていたが」
「星、きさま」
「……出ていけ、伴。もうここへは来るな」
今にも掴みかからんばかりに食ってかかる伴を前に、飛雄馬はまた、涙を堪えつつ首を振る。
「いっ、嫌じゃい。おれは、星がどこへも行くなと言うまでここを動かんぞい」
「いい加減にしろ、伴……っ、きみも男なら……黙ってここから出ていってくれ」
「っ…………」
項垂れた飛雄馬のそばに伴が身を屈め、その体を抱こうと腕を伸ばしたが、その手は遂に触れることはない。伴はそのまま立ち上がり、着替えを済ますと、おれはどこにいても、何をしていても星を思っちょるぞいと言い残し、部屋を出ていった。
勢いをつけて閉められた扉の開閉音の余韻が室内に反響し、いつまでも部屋に残っている。 飛雄馬は震える声で伴を呼び、強く奥歯を噛み締める。私物を彼は引き上げなかった。彼はおれに苦しめと言うのだろうか。至るところに残された彼を見かけるたびに、自分を思い出し、悲しむがいい、と。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
できることならおれだって、すべてを投げ出し、捨て置いて、伴と一緒に逃げ出してしまいたい。
とうちゃんのことも、巨人のことも、何もかもを。
おれがそんなことができる器用な人間ではない、と、伴が一番よくわかっているだろうに。
飛雄馬は体を起こし、自分もまた、汗を流すために浴室へと向かう。伴が脱ぎ捨てていった濡れたタオルや下着類を洗濯機に放り込んで、シャワーで汗を流す。
記憶も、感情も何もかも、このシャワーの湯とともに消えてなくなってしまえばいいのに。
「…………」
冷えた体を温め、飛雄馬は髪と体を拭ったタオルを自分の着ていた衣服とともに洗濯機に投げ入れ、それを回すと、火照った体を冷ますために下着姿でリビングのソファーへと腰を下ろす。
この部屋は、おれひとりには広すぎる。
家具も、電化製品も、何もかもがねえちゃんと伴の好みのそれだ。
おれは何のために、誰のために生きているのだろう。
ずっと走り続けて、ふと立ち止まったときには何もこの手には残っていない。
ソファーの座面に飛雄馬は体を横たえ、目を閉じる。
洗濯物も干さなければ。服も何か着なければ風邪をひいてしまう。それなのに体がだるく、ひどく眠たくて何もする気にならない。
伴が、おれの手を取り、逃げようと言ってくれたらきっと、おれは……なんて、そんなに都合のいい話があるもんか……。
飛雄馬は訪れた睡魔に抗うことなく身を委ね、洗濯機が回る音を子守唄に、ゆっくりと眠りに落ちていく。
伴の中日移籍の記事が紙面を飾るのはこの明朝のことで、飛雄馬はひとり、自宅で新聞に目を通しながら、伴、とかつての親友の名を口にすることになるのだが、今の彼はもちろんまだそれを知る由もない。
夢を見るのは楽しかった頃の思い出で、飛雄馬はくすりと微笑むと、ミットを持ち、構える親友に向かって球を放った。